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YAMAEI KEORI

YAMAEI KEORI

愛知県一宮市、津島市、江南市、稲沢市、さらに岐阜県羽島市で織られる『尾州ウール』は、国内ウール生産量の 70%以上のシェアを誇り、イタリアのビエラ、イギリスのハダースフィールドと並ぶ、世界三大ウール地の一つとして世界的にも知られている。

時を遡ること江戸時代。この地域は綿織物が盛んだった。
その後明治時代に移ると、人々の日常着は着物から洋服へ。さらに日露戦争での軍服需要の急増という時代背景をいち早くキャッチアップし、毛織物工業に着目したのが津島市だった。綿織物から毛織物へ。尾州ウールの歴史はここから始まる。
大正時代になると、第一世界大戦に伴い毛織物の輸入が停止される。国産の毛織物は脚光を浴び、特に尾州ウールは一躍その名を全国に轟かせた。

そんな中、大正3年(1915年)『山栄毛織』が創業。 以来、1世紀以上にわたって毛織物を織り続けている。  織物工場を象徴する昔ながらのノコギリ屋根。天窓から差し込む光に照らされた18台の年季の入った織機は、その動きを見守る職人の呼吸に合わせるかのように、今なお心地良いリズムを刻んでいる。

 

山栄毛織がこだわるのは、メンズ用の生地づくり。
中でもブラックフォーマルのパイオニアとして生地を開発し、黒無地で勝負に出た。
柄や風合いでごまかすことはできない。まさに職人技の真価が問われる。
使う糸の選定から、1インチ間に織り込む糸の本数、さらに織機を動かすスピードまで、微に入り細に入り調整を何度も重ねた。堅牢かつシワになりにくいといった“フォーマル”に欠かせない機能性も重要だった。

「考えられる限り、あらゆる要素を踏まえて突き詰め、織り上げた生地でした。このフォーマルの生地が当社のルーツであり、この時のものづくりのDNAが今も間違いなく引き継がれていますね」。
こう語るのは山栄毛織4代目社長の山田和弘さん。

2000年代に入ると、欧米のハイブランド各社が山栄毛織の、この毛織物に目を付ける。
高速織機で大量に織る生地とは全く異なる、独特なふっくらとした手触りに多くのデザイナーが惚れ込んだ。本国より続々と津島市の本社に足を運び、現在も錚々たるブランドとの取引は続いている。
さらにこの頃からウールだけではなく、木綿や麻など天然繊維にもこだわり、バリエーションを広げていく。自社製造という強みを活かした山栄毛織独自の糸の組み合わせが可能となり、オリジナル生地を次々と生み出し、世界からの注目度は益々高まっていく。

ではなぜハイブランドのデザイナーたちが、山栄毛織の生地にこだわるのか。
その理由は希少な織機「低速レピア織機」にある。この織機、その名が表すようにとにかく速度がゆっくりなことが最大の特徴だ。そもそも生地は、一本ずつセットされた経糸に緯糸を通すことで織り上がる。この時、緯糸は筬(おさ)と呼ばれる道具で、設定された位置まで打ち込まれることで生地の密度が決まる。同じ密度に設定しても、高速織機の場合は、緯糸が元の膨らみに戻る前に次の緯糸が押し込まれるため、必然的に潰れた状態の生地になってしまう。
一方、低速レピアでは、ゆっくり時間をかけて緯糸を打ち込まれる。そのため、糸が本来持つ膨らみに戻ることができるのだ。この一本一本の糸の膨らみが、他にはない独特な温かさと風合いを持った生地を生み出している。

世界のメゾンが認めた山栄毛織の生地。山口さんは、従来の“工業”というイメージから、よりクリエイティブな色合いを持った企業へと進化させたいと、オリジナル製品の製造という新たな一歩を踏み出す。
そこで出会ったのが、ものづくりに対して同じ想いを抱いていたO/EIGHTHだった。O/EIGHTHが望んだのは、山栄毛織の生地を使った帽子。山栄毛織にとっては初めてのプロダクトだ。
山口さんが迷いもなく選んだのは、海外コレクションでも使われている『トリコチン』という、山栄毛織のブラックフォーマルの黒無地だった。

トリコチンとは、「綾目」と呼ばれる繊細な生地で、表面に畝が立つことで通常のギャバ生地に比べて迫力があり、表情が豊かなのが特徴だ。この生地で作る帽子にしか出せない味わい深さは、被ったものにしかわからない特別なものとなる。しかもこの黒無地の生地は、最終仕上げの染色段階で、ブラックフォーマルと同じように光が当たっても白飛びしない加工が施されている。単なる黒色ではない、美しい光沢を纏った“漆黒色”。これこそが山栄毛織の真骨頂とも言える。

この生地を使った帽子は、おそらくどこにも存在しない。これほど贅沢な帽子を作ることは山口さんにとっても大きなチャレンジだった。

山口さんは語る。
「織機も優れた職人もここに存在しています。この強みを最大限に活かし、創業時からの変わらぬ“妥協しない”“ぶれない軸のある”生地づくりに取り組んでいるからこそ、洗練された、今までになかったプロダクトを生み出すことができる。そう確信しています」。

次の新作に向けて、新たな生地づくりは始まっている。
“良い生地を織り続けていると、織機もより良い織機へと育っていく”
山口さんの言葉のように、山栄毛織の織機で織るオリジナルの生地が、帽子という形になって命が吹き込まれ、使い手が長く育んでいくことで唯一無二の逸品になる。